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欧米の幽霊は特に季節の限定はなく、むしろ寒い冬が舞台になっているケースの方が多いかも。それと違って、日本の幽霊が夏場に迷い出るのは、納涼のため…では勿論なく。年に一度、祖先の霊やら亡者やらが現世の実家へ戻って来るべく、冥府の扉が開くのが、陰暦の7月15日とされていたから。この、盂蘭盆(うらぼん)という仏教行事は、平安時代の主要公事として既に宮中では執り行われていたそうで。清涼殿に御供物を供えて帝が参拝し、死者の霊を慰め、諸仏を供養したのだとか。そもそも陰暦7月15日というのは、死者を祀る道教の“中元”という日であり、それと祖先の霊を供養する仏教の盂蘭盆とが習合したらしい。ちなみに、西欧だと十月末日の晩のハロウィンがこれに相当するお祭りであるが、あちらは過激で、亡者たちよりもっと怖い化け物に扮して追い返すというから物凄い。
「つか、一晩中起きてるってところは、いっそ“庚申待ち”みたいなもんかもな。」
これもまた道教の教えによる平安時代の風習で、昔の暦の“かのえさる”の晩は、人々の体に巣食う三尸虫というものが這い出して天へと上り、自分が住まう人間の素行を天帝へ報告するのだそうで。そんなことをされては堪らないからと、人々は寝ずに夜明かしをした。というのが、起きている間は三尸虫も体から出て行けないのだそうで、それを“庚申待ち”と呼んだそうな。何かしら後ろ暗いものがあったからというよりも、それを理由に堂々と夜っぴいての宴を張ったという順番の晩であるらしかったが、そうと解釈するなら、成程 似てますね。
………って、だからそんなお話をしている場合ではなくって。(まったくです)
まだまだ残暑厳しき中の、とある昼下がり。お館様の昔馴染みの大工さんが、それと知らぬままに連れて来ちゃった、影の薄い、幼い風情の何者か。ご当人の身近には、そういう奇禍に覲まみえたような身の上の子供なぞ居ないし、造成や改修にあたって関わった家やら建物やらにも、ここ最近誰ぞが亡くなったという話なんてないというからには、
『お前に心当たりがないならば、出先のどっかで拾って来たか、若しくは不安定なまま浮遊してたのが くっついて来たってやつだろな。』
時期も時期だから迷い出たものかとも思ったが、随分と幼い子供のようだから、新仏と見た方がいいのかも。それが寂しいからついて来たという手合いじゃねぇかなと。すっぱり断じたのが、陰陽師という、ある意味でその筋の専門家なだけに、
『そういや、何日か前に水場の祠を修理した。』
全く霊感がないからか実感はぜんぜんないらしいご本人にも、関わり合いという方向での思い当たるもの、何とかギリギリあったらしく。
『川とつながってるから水も濁らず、暑い盛りでもそりゃあ綺麗で。山や林を分け行ったところにあるっていうよな難物でもなし、丸い石の敷かれたようになった水辺から浅瀬が連なってるから、何とも遊びやすそうな池なんだがな。何でも思わぬところに深みがあって、小さい子供がよく溺れる物騒な場所でもあるんだと。』
それでの祠があったのだが、先せんの大雨で屋根がひどく傷んだというのを修理したばかりだと。話しているうち日中の盛りを過ぎたからか、時折ふらふらと宙を飛んでくる蚊があったりするのを、腕や首元などへ留まる端から、素早く手のひらでペチプチと叩き潰すところは容赦のないお館様だが。それとは全く宗旨が違うお話、さすがに眉をしかめてしまわれて。
『…それだな。』
的を絞った術師の意を受け、小さく顎を引いて頷いたのは葉柱で。特に立ち上がる気配も見せなかったが、ほどなくして“かささ…”と庭の隅の茂みを鳴らし、やって来た小さな陰が幾たりか。姿さえ捕らえがたいほどもの、目にも留まらぬ素早さで、影だけになって庭を突っ切ったそれらは、今度は音もなく濡れ縁の上へまで這い上がって来る。
『…え?』
きょとんとしていたのは宮大工の武蔵殿だけで、同座していた蛭魔もセナも、気づいてはいたが動じもしないで視線で追っただけであり。そうこうする内にも、その、気配のみという不思議な影たちは、広間の外縁側に座していた総帥殿の、わざとに床へとついてた手元、袖の中へともぐり込むとふっとそのまま気配を消した。衣紋の中に消えたのか、それとも彼自身へ吸収でもされたものか…と思われたような仕儀だったが、実を言うなら…水場ならばとその周辺にいた小者へ葉柱が指令をやって、情報を聞いて回って来させただけのこと。そして、それによれば、
「近場の長屋に、数日ほど前から“子供の姿が見えない”と半狂乱になって探している若い夫婦ものがいるんだと。」
絶対に死んでなんかいない、神隠しに遭ったのだと固く信じて、毎日の陽のある間中、足を棒にして探し回っているそうなので、
「その妄執に引かれて、この子は現世から離れられないのかも?」
ここに居合わせた者のほとんどに、その姿の見える幼い子。自分のことを取り沙汰しているのだということまでは気づかぬか、淡い輪郭のままふわふわと、広間のあちこちを物珍しげに見て回っていたものが。今は蜥蜴の総帥殿の背中の陰へと隠れ、時々そぉっと首を伸ばしては、熱心に言葉を交わし合う大人たちを覗いている。そんな気配にも当然気づいて、
「んん?」
大きな肩越し、そぉっと視線を投げてやり、
《 ………?》
もしかしたなら視線が合ったようなので。かっくりと小首を傾げて見せれば、
《 ………。》
さして柔らかい面差しでもないのも道理、少々気味が悪いかもな蜥蜴の邪妖を束ねていなさる恐持ての総帥様だってのに。いくら相手も妖かしだとはいえ、幼い子供が怖がって逃げたりしないから不思議と言っちゃあ不思議なもんで。
「どうしたよ。」
そのまま葉柱が低い声にて、出来るだけ静かに囁きかければ、
「こんなところでウロウロしていちゃ不味かろう?」
《 〜〜〜。》
なんと…何やら小声でお返事をして来る様子であり。ちょっぴり含羞みながらも離れがたいと懐いてる様子は、まるで久し振りに逢う親戚の若い叔父さんが相手でもあるかのような微笑ましさで。
「…やっぱ子供には好かれやがんのな。」
頬杖ついてた手のひらの陰にて、ぼそりと呟いたお館様だったが、実際に零すつもりはなかった一言だったらしく、
「あ?」
聞き咎めたムサシの声へ、
「何でもねぇよ。」
ふんっとムキになってそっぽを向いた蛭魔だったのはともかくも。(苦笑) 総帥殿の大きな背中に懐いてしまった、影の薄い和子の言うには、
「引きが二つあるんだと。」
「? 何だそりゃ?」
さっき庭から走り込んで来た“何か”は、一応 生きてた気配だったから察することも出来たけど。それと違い、やっぱり何の気配も感じないままな何物か。そんな存在と会話出来るなんて凄いもんだと、素直に信じたその上で…だが。やっぱり専門外なもんだから、葉柱の省略された言いようへ、ついつい眉を寄せてしまった宮大工さんへと応じてやったのは、
「こういう身になってこそ聞こえる、誰かが何かが呼んでるような気がするもんなんだよ。」
この春先にギリギリで実体験しかかったことのある金髪痩躯の陰陽師殿。薄地の帷子かたびらの上へそれを透かせる紺地の絽の単ひとえを重ね着た、細い肩をひょいっとすくめると、肉の薄い口許をわずかほど歪め、何とも微妙に苦笑して見せる。
「そっちへ行かねばならぬような気を起こさせる、声だか気配だかがあっての。」
人の有り様は、肉体という器と魂魄とで成り立っている。生気を主宰しているのは魂魄で、魂は精神をつかさどる陽の気で人が死ぬと体から離れて天へと昇る。魄は肉体を主宰する陰の気で、死後も身体に宿ったまま地上に留まるのだそうな。その伝でいけば、魄を削られる呪いをかけられでもしたものか、その身が日に日に薄まってゆくというとんでもない呪咒に捕まって、冗談抜きに、言葉の綾なんかでもなく“往生”しかけた経験がある蛭魔であり。
「で?」
「さぁな。」
自分は幸い…心得のあった助っ人の働きにより、あっと言う間に現世へ引き戻されたから、
「その先までは知らねぇよ。」
ゆったりめの袴をはいた自在さから、片膝立ててた行儀の悪さのまま、放るように言い返す。中途半端で悪かったなと言いたげだったが、
「………。//////////」
そっぽを向いたつもりが…こちらさんもその時のすっとんぱったんを思い出した誰かさん。本当に無事で済んでよかったと言いたげな、その御仁からのいたわるような視線と鉢合わせてしまい、そのまま頬を染めてしまう可愛げなんぞは、
“昔は欠片だってなかったことだよな。”
ムサシさんの口許へも薄く苦笑を誘っていたりし。(ぷくく…vv) ともあれ、
「そうと判れば“善は急げ”だな。」
ただでさえ厄介ごとなんだし、いたずらに時を過ごしてしまうことで、ご当人が向かう先を見失っては難儀も増える。とっとと片付けるに限るとばかり、迅速的確な手段を講じようと話がちゃっちゃと進むところが、さすがはエキスパート様がた…もとえ、その道の権威や専門家たちであったのだけれど、
「当事者の夫婦へ話を通すのが、一番手っ取り早い、か。」
その和子の言う“二つの引き”の一つというのは、間違いなく…親御の懸命真摯な強い強い想い入れ、所謂“執念”だろうと思われて。
「実情をきっちり解いてやって、引導を渡してやれば…。」
「そうだな。」
諦めさせるのが一番かと話がまとまり、ならば、相手のところへ案内させると葉柱が腰を上げ、てきぱきと実施へ移ろうと構えた大人たちへ、
「………そんなの、酷くないですか?」
珍しくも割って入ったお声があった。おややと首を回しかかった皆様の前へ、その視線を追い抜くように、自分から進み出たのが小さな書生くんだったから、
「ちび?」
「お…?」
こういう事態の道理や何や、学問としての筋道も、実際の経緯の上での流れや機微も、ちゃんと理解している坊やだから。いつまでも迷っているなんて可哀想だと、真っ先に言い出しそうな子だってのに、今回は少々雲行きが違うらしくって。腰を上げかけた皆様に先んじて、縁側へと立ち塞がると、大きな瞳をきりりと見張り、
「何を信じてもそいつの勝手だって、お館様はいつもお言いじゃないですか。」
「だから?」
「大切なお子さん、死んでなんかないって信じるのは…信じたいって思うのは、親御さんの自由なんじゃないのでしょうか。」
日頃はあれほど素直で大人しい子が、すみやかに手を打とうとする皆様の前へ、ともすりゃムキになって立ちはだかったから、これはやっぱりいつもとは違う。
「退きな。」
「いやですっ。」
彼にしてみれば、師事しているからというのみならず、その力量もよくよく知っていればこそ、最もおっかない人でもあろうはずのお師様相手だってのに。袂の短い単ひとえの袖に、自身の細っこい腕とそれから、その向こうの、少しほど盛りを過ぎかかった昼下がりの庭を透かさせつつも。文字通り両手を広げての仁王立ち、皆様の行動を阻もうとして頑張って見せるセナであり。力任せを敢行すれば、蛭魔でも容易く排除出来そうな存在なれど、
「〜〜〜〜〜。」
唇を真横に引き結び、彼なりの懸命さで一途にも思い詰めての抗的行為。日頃にはない言動なだけに、
“下手につつくと進の野郎が“お出まし”しかねんな。”
人と人との機微の衝突。しかも相手が選りにも選って、セナの最も身近な存在、親御や兄様にも等しき蛭魔だとあって。今はまだ様子見というところか、気配も引っ込んでどこにも感じられないままなものの。あの、寡黙で剛腕、精悍にして屈強な憑神様は、この家だとか彼の血統に憑いたのではなく、セナ自身へと誓約を結んだ存在だから。何となれば…世の中の常識や公序良俗なんてものより、セナ自身が断然優先されるという思考回路になっていて。物事の価値観から優先順位、善悪の判断基準までもがセナ中心。よって、セナにとっての“無体”が行われるなら、黙って看過はしなかろうし、
“まあ、黙って負けてやる気はねぇけどよ。”
こらこら、蛭魔さんたら相変わらずに負けず嫌いなんだから。(苦笑) そんな一言が、胸の内、滲み出して来るほどには まだまだ余裕もあった皆様でもあったので。もちっと言い分を聞いてやろうということか、真摯で、でもだから いっぱいいっぱいな様子の坊やのお顔を、黙ってまじっと見やっていれば、
「だって…。」
聞いてやるから言ってみなという、猶予の姿勢が何とか伝わったらしくって。恐る恐るに言葉を継ぎ足す彼だったりし、
「一方的にがんがんと言い聞かせることで、力づくで否定しちゃったら。ただでさえ気落ちしそうなお話ですもの、そのまま一気に、生きてくための力も萎えさせてしまうかも…。」
セナはあくまでも、そこのところが心配だったのらしく。ああそうだった、この子は極めつけに優しい子だったと、お師匠様もまた思い出す。彼とても、決して何もかもに恵まれて育った和子ではなかったそのせいか、他人の心の痛みが過ぎるほどにようよう判る子で。不慮の事故とか思わぬ不幸、様々に訪れる悲しい出来事から、その身は無事でも心へと受ける辛い傷は多々あるということとか。それをバネに“なにくそっ”と頑張れる人ばっかじゃあないのだと、我が身の痛みのように引き取れる子。徹底した非情…ではないながら、それでも大胆不敵で自信家な蛭魔が持つ、ちょっぴり乱暴な傍若無人を支える豪気さとは真逆かも知れない、何でも拾えるセナの繊細な感受性は、それと同時、ささやかなことへさえ気持ちの針が大きく揺れるという“諸刃の剣”でもあったりするから、
“難儀なことよの。”
何にへも心を砕ける優しいのが いけないとは言わない。ただ………。
「正直者のお前には珍しい見解よの。」
「だってっ! 事実がいつだって正しいとは限らないというのは、お館様だっていつもお口にしてなさることではありませぬかっ!」
なるほど、それは確かに、蛭魔の屁理屈の基盤でもあったりするし、
「よっく教化されとる教え子だな。」
「…まぁな。」
俺の言いようはあくまでも、一方勝手な方便を成立させるための詭弁だったんだがな…なんて、それこそ言い訳めいた言いようをする術師だったが、
「じゃあ訊くが。」
むんっと勇んで胸を張ってる教え子へ、彼にしては…反駁されたにしては穏やかそうな面差しで、蛭魔が静かに訊いたのが、
「その子が亡くなってるってことをいつまでも知らされないまま、
一途に…闇雲に奔走させまくりで時を過ごさせるのは。
そして随分と後になって、とうに死んでたと知らせてやんのは、
全然全く残酷じゃあないってのか?」
責めるような、圧倒するような威圧のない声。だからこそ するりと聞けて、そして、
「う………。」
セナの気勢が…真っ直ぐだった視線が揺らぐ。
「このままだとこの子は本当に迷うぞ。それなりの場所へ行っての淨化も再生もされぬまま、どんどん陰化しちまうか、もっと性根の悪いのに糧として食われてしまい、虚無海の迷宮で永遠にさまよい続ける身となるか。」
淡々としたお声だけじゃあなくって、きれいな白い手がつと伸びて来て。ついつい“叩かれるっ”と首をすくめたセナの、柔らかい髪をそぉっと撫でて下さると、
「責任が取れるのか? お前。一生かけて“本当は”を黙り通せると、彼らが気の済むまでやりたいようにやらせて、それを励まし続けられるということか?」
「それは…。」
勿論のこと、一生をそれに費やす彼らかもしれないし、あるいは。ずんと後日になったなら、もしかしたらば…今は必死で真摯な思い詰めから、和子を探して奔走している彼らだとても、何とはなく気がつくか悟るかする時がくるのやも知れないが。
「いつかは気が済むかも知れぬ親御はともかく、この子はどうなるよ。
慰めてももらえず悼んでももらえず、
霊視能力の低い親御たちにも気づいてもらえぬままに、
ふらふらとそこいらで迷ったままで居てもいいのか?」
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